ぼーっとすることの重要性

感情が動きたくないと言ってるときが結構ある。

大抵、その心に鞭打ったり、無視したりして無理やりにでも行動する。

 

そうしないと、なにもやるべきことできないから。

 

でも、たまに時間が許すときは、その感情にしたがってみたほうがいい。

 

無理やりにでも生きていくスピードを減速させ、行動を止める。

 

なにも考えずにぼーっとする。

珈琲ぐらいはのんでもいい。

 

音は止められる限りのものはとめる。

スマホもさわらず、そのままぼーっとする。

 

なんか、それだけでじわーっと満たされる気がする。

感情は、例えるなら自分の中に幼い自分がいるような感じ。

 

いつも叱ってばかりじゃうまくいかなくなるのは当然。

 

たまに、受け入れてあげないと、内なる子供が腐る。

 

最悪、その反発が刃となって自分自身に向く。

 

たまにサボってもいいんだよ。

 

サボった分ツケがくるとか、サボれる状況じゃないとか、サボる時間がないとか。

 

自分の心が一番大事。それ以外後回し。

 

壊れたら生きてる意味ないよ。

 

だいたい、鬱かどうか人が決めるのもおかしいもの。

医者から診断書が出てるかどうかなんて、普通に考えたらおかしくない?

 

しんどいもんは、しんどい。

 

この世の定理は、言語化できる全てのことにおいて自分と同じ人類が決めたこと。

 

時間も、常識も、普通も、当たり前の生活も。

 

生まれてから死ぬまで、基本縛られて凝り固まってるのが当たり前。

 

たまに、今受けてる自分の普通を疑ってみてもいいんじゃない?

 

つらかったら、自分にとって少し楽に生きる方法を考えてみる。

 

自分を縛ってるのは、自分以外何者でもないんだし。