ボーっとしててもいいんだけど、もったいないような気がしてなにか行動しようと思っても、やる気が出ない状態。
自分の心を探ってみてもぼんやりしているような感覚。
言葉も特に出てこない。
でも、天気のいい日にこうやってパソコンに向かって自分を吐き出す時間は結構好きだ。
子供も寝ているからある意味一人の時間。贅沢な時間。
なにか、しなきゃいけないことはたくさんあるけど、やる気が起きないんだよなあ。
最近イベントごとが多くて、疲れる日々。
没入できる時間もあるけど、逆に疲れることも多い。
体力がないといわれればそれまでだけど。
でも、生き方も上手な方じゃない。
回り道しまくって結局どこにもたどり着けなかったり。
と、思えば不思議と今につながることが多かったり。
「ドッツ」という考え方があるけど、ほんと今したいことしてればいいのかもしれない。
今したいことは何か。
自分を知ること。
なぜ疲れてる?なんで、幸せな状況で幸せに感じない?
ふと、浮かんだのが、やはり思考が「今」だけに限定していないことなんだろうと予測。
今、この瞬間心地よいならそれでいいという、潔さが自分には必要だ。
このタイピングの感覚、想いを吐き出してる感覚。自己追及している感覚。
どうしても人と比べて落ち込むが、元気がない時は、絶対人と比べることはしてはいけない。
人は人、自分は自分。そう割り切る為には、その覚悟が必要。
孤独でいいという考え方。
普段愛想よくしてるし、十分頑張れてる。
だから、たまに甘える自分も必要。
休憩する自分も必要。
ぼーっと非生産的な時間を過ごすことも必要。
頑張り続けて結果を出すのは、AIと同じ。
なんなら、同じ土俵に立った時点で負けてる、人間なんだから。
サボってる時間は是非とも人間には必要なんだ。
それがロボットにはない付加価値を見出せる。
意味のないと思っていることに価値をつなげるクリエイティブなことは、足し算や掛け算ではとても表しきれない数式が必要。
サボれサボれサボれ。
頑張らないで、何かを生み出す。
もはや、生み出す必要すらないかもしれないものに価値はあるのかもしれない。
視野をもっと広く。あるいはもっと狭く。
ふわっと身軽に生きていこう。
何もしていない自分をほめよう。
生きるということはすごく大変なことだ。
何もしていないのに「生きる」という大きな成果を生み出していることに気づこう。
これは紛れもなく、自分の運と努力の結晶だ。
ぼんやり生きてたって、生きる意味はあるよ。
自分という有難い存在に感謝しよう。
なんか眠くなってきたから寝るかぁ。