自分ってめんどくさいやつ。

不安がないとないで不安なのだ。

 

今日朝から、心は凪だった。

 

昨日いろいろ溜まってた業務を遂行できたことによる解放感みたいなのがあった。

 

でも、そうすると、心はなんとなく頼りなくなる。

 

今まで忙しくてしんどいと思っていたのに、いきなり時間があいて、サクサクtodoを消すことができたにも関わらず、心は新たな不安を探す。まるで求めるように。

 

不安による安心感というかなんというか。

 

それでも、やるべきことはまだまだ残ってる。

これから追われることが予測できることもある。

 

こういうめんどくさいやつと付き合っていかなきゃならないのだなと自分自身に諭す。

 

これが、自分。

 

繊細で不安症で頼りない。

 

でも、やりたいことはいっぱいある。

 

どうしようもないやつだけど、そういう自分が不思議と「しょうがないな~」という気持ちになってる。

ぼーっとすることの重要性

感情が動きたくないと言ってるときが結構ある。

大抵、その心に鞭打ったり、無視したりして無理やりにでも行動する。

 

そうしないと、なにもやるべきことできないから。

 

でも、たまに時間が許すときは、その感情にしたがってみたほうがいい。

 

無理やりにでも生きていくスピードを減速させ、行動を止める。

 

なにも考えずにぼーっとする。

珈琲ぐらいはのんでもいい。

 

音は止められる限りのものはとめる。

スマホもさわらず、そのままぼーっとする。

 

なんか、それだけでじわーっと満たされる気がする。

感情は、例えるなら自分の中に幼い自分がいるような感じ。

 

いつも叱ってばかりじゃうまくいかなくなるのは当然。

 

たまに、受け入れてあげないと、内なる子供が腐る。

 

最悪、その反発が刃となって自分自身に向く。

 

たまにサボってもいいんだよ。

 

サボった分ツケがくるとか、サボれる状況じゃないとか、サボる時間がないとか。

 

自分の心が一番大事。それ以外後回し。

 

壊れたら生きてる意味ないよ。

 

だいたい、鬱かどうか人が決めるのもおかしいもの。

医者から診断書が出てるかどうかなんて、普通に考えたらおかしくない?

 

しんどいもんは、しんどい。

 

この世の定理は、言語化できる全てのことにおいて自分と同じ人類が決めたこと。

 

時間も、常識も、普通も、当たり前の生活も。

 

生まれてから死ぬまで、基本縛られて凝り固まってるのが当たり前。

 

たまに、今受けてる自分の普通を疑ってみてもいいんじゃない?

 

つらかったら、自分にとって少し楽に生きる方法を考えてみる。

 

自分を縛ってるのは、自分以外何者でもないんだし。

訳のわからない落ち込みとイライラ

いろいろ、マインドフルネスとか気をつけてメンタル安定してたのにここ2日間気持ちが落ち込むというか、不安定というか、些細なことでもイライラする。

 

一週間前もそういう気持ちの不安定があって行動できなかったけど、それは乗り越えられた。

 

そのときは自分に対するハードルの高さ、不安感、焦燥感が原因だった。自制心ではなく、感情にばかり頼っていたから、マインドフルネスを意識して解決できた。

 

今までは不安感、焦燥感はたまったタスクを解消することで解決してきた気がするけど、この時はそういう不安感や焦燥感と向き合ってどう気持ちを持っていくかで対処できたから、なんとなく違うやり方で壁を乗り越えられた気がした。タスクが多いのはそのままなのに、心が強くなった感じ。

その後は、やはりさくさく1個1個タスクを解消していったし、常に頭の中には一つのタスクか、何もいれず目の前のことだけに集中できた。

 

ところが、ここ2日はそれができず、気持ちの波にも対処できず、イライラをぶつけたり、落ち込んであからさまに元気がなくなったりしてた。

そうじゃだめだと、気持ちを切り替えようとすればするほどどんどん沼にはまっていくような感じ。

確かに昨日は特に朝から感情的だった。

思えば一昨日の夜から無性にイライラしてた。

 

って原因探ってもわからないことは、わからないのかもしれない。

 

思い通りにならないことがうまくいかないとは限らない。

 

こういうときこそ、ネガティブケイパビリティ。

 

こういう宙ぶらりんの状態をどうふんばるか。

 

自分はこういうとき、視点をずらすということを学んでいる。

 

しんどい時にしんどいこと考えるんじゃなくて、しんどい時に別のこと考えれれば意外とすんなり乗り越えられる。

 

ただ、そういう状態にもってくのが難しい。

とりあえず、今日一日休暇と思って全力で休むか。

 

 

今日もお疲れ様、自分。

まだ、朝だけど。

起きて一時間もたってないけど。

 

なんかね、疲れてる。

複業をはじめてから、というよりはじめると決めてから、目まぐるしい毎日を送ってる。

 

それこそ「充実」なのか、「忙殺」なのか。

どちらにせよ、一人でやる仕事だから、いっぱい声がかかるのは嬉しいこと。

 

だけど、やっぱつかれるよね。

複業だから、自分のペースでできるかって言ったらそうでもない。

 

軌道にのりたい気持ちはあるから、声がかかったら無理してでもやる。

実際楽しいしね。でも、結局自分の能力に対してキャパを越えて受注しちゃうから、納期が間に合わなかったり。いや、間に合うんだけど、徹夜とか。

その徹夜もしんどくないのよ、やりたいことやってるから。

でも、徹夜ってやっぱりツケがくる。

無事納品できたから、気が緩んで次の日以降どっと落ちる。

起きるに起きれない。

複業の時間をあてられない。

本業をもちろん休むわけにいかないけど、次の作品の納期もあるから、しわ寄せがくる。

 

でもね、自分にとっては複業だけど、そのお客さんにとっては、本業そのものと同じこと。

 

本来なら、100%力を出し切るのが正しいのかもしれない。

でも、最近本業のほうは100%出し切らなくても60%で90%くらいのクオリティでやれてる。

それに比べ、複業は100%出し切って80%だったり、40%だったり。

だから、どちらの仕事も100%を目指すんじゃなくて、60%くらいを目指していきたいと思ってる。

 

あわせて120%というのは、ちょっとだけ背伸びしていこうよという感じ。

 

やっぱり自分のできる範囲でやると疲れないけど、限界は越えられないから成長は遅い。

 

それは30代になってようやく気づいたことかとしれない。

 

たまにすごい無理をすると絶対反動がくるけど、毎日ちょっと無理をしてみるとその無理に慣れてだんだん次のステージにいけるというのを最近体感的に学んだ。

 

そういうリズムだとなぜか疲れない。

そして、そういうのは自分の場合、筋トレでも仕事でもそう実感してる。

 

だから、毎日ちょこっと挑戦する姿勢は保ち続けたいというのが今日の結論。

なーんか疲れてる。

訳もわからないけど、なんか疲れてる。

 

そういう時は大抵、心が動きすぎてる。

 

行動より心のほうが忙しないと当然心は疲れる。

 

それは、焦りとか不安だったり。

 

すごく小さいものから、どかっと大きなものまで。

 

小さいものは言語化できずにいるものがあるから、そういうのが積み重なって、だいたい訳もわからずパンクする。

 

だから、とにかく書き出すことが大事。

 

たとえまとまらなくても、少ない時間でも、ちょっとずつちょっとずつ心の澱を溶かして分解して吐き出していく。

 

それで、少し心に隙間と余裕が出るから、あとはその余力で動き出してみる。

 

そうすると、心より行動に重きが変わるから、あとは楽。

 

だから、とにかく書き出したり、体動かしたりするといいんだけど、大抵気づく頃には動けなくなってる。

 

こうやって書き出してる分には、いいほう。

 

今夜は、いろいろお話しなきゃいけないから、寝る時間も遅くなっちゃう。

久々にノートに書きなぐりたい気分だったけど、お預けかな。

自分を満たす。

あー今日も1日頑張った。

 

ということでアーモンド効果のんでる。

 

ほろ苦キャラメル味がそっと体にいきわたる。

 

なんか、イライラしてたなー。

 

カルシウム足りないのかな。

 

単純に睡眠不足か。

 

でも、それでもやらなきゃいけないことはたくさんある。

 

あーあまり言語化うまくいかないなー。

 

自分を満たすって難しい。

イタい奴と思われてでも

自分の価値観に沿って生きていたら、イタい奴だと思われててもやる必要がある。

 

正直すごくモヤモヤする。人の目に晒されるって。でも、このモヤモヤも避けては通れないし、たぶんこの心の葛藤やストレスは必要なものなんだと思って受け止める。

足掻くのも大事だけど、このモヤモヤはさっさと解決法を見出だしてスッキリした方がいいという類ではないような気がする。

 

しっかりと受け止めつつ、逃げない心構え。

辛いけど今の自分なら耐えられるし、耐えて鍛える必要がある。

いつものハック探しでは根本的に解決しない、本当の強さを得るためのモヤモヤ。

自らのモヤモヤに対する技術は今まて読み漁ってきた脳化学だったり、心理学だったり、メンタルヘルスだったりいろんな本で、だいぶマシにはなってきたと思う。その中でいろいろ実践して、身についたもの身につかなかったもの、忘れてすらいるもの、いろいろその時の自分によって取捨選択してきた。

改めて本を読むことの大切さを身に沁みて感じる。

だけど、やはりそれだけではまだ半分なのだと思う。

もう半分は、やはり強さが自分にとっては必要なこと。そして、今のところ行き着いた答え。

もちろんこれからも本は読むし、アップデートは限りなくしていく。

でも、振り返った時にやはりいつも強さがどうこうに繋がる。

自分という乗り物を観察してきた過程で、習慣力だけじゃない何かが必要だと思ってきた。

もしかしたら強さだけじゃないかもしれないし、そもそも強さじゃないかもしれない。

 

ただ、今ある心の状態を受け止め、真摯に向き合いながらも、心の激流に耐えうる力は、技術だけじゃないと思った。

 

正直どうしたらいいかはわからないけど、今はこのモヤモヤに耐えてみることにする。

 

とにかく行動だけは止めない。

行動ファースト。動いて動いて動きまくる。

心の激流よりも早く動きまくる年にする。